沿革

昭和10年   創業者池内義人が中国一円の大小造船所への労務の供給を目的とした個人会社池之内組を組織した。
昭和16年   三菱重工業株式会社三原車輌製作所の創立と共に三菱構内に於て作業用地を借用し独立した下請業を営む。
昭和25年 10月 市内西町にあった機械工場を買収し、市内に於ける機械加工業を始め、共立機械製作所と改称する。
昭和27年 5月 従来の機械加工に加え製缶加工部門を併設する。
昭和30年 10月 製缶部門の仕事量の飛躍的増大に伴い、敷地の狭あいを来たし、市内皆実町1208番地他、2,216m²の新用地を買収し製缶部門のみ移転する。
昭和32年 10月 経営規模の発展により従来の個人会社を法人組織に切換え、株式会社共立機械製作所と改称し、取締役社長に池内義人就任する。資本金250万円
昭和33年 6月 油圧機器の試作に成功し、これら製品の製造販売を行う。
昭和34年 12月 機械部門を製缶部門工場の敷地に併合する。
昭和35年 12月 更に業績の進展により隣地皆実町1210番地1,233m²を買収する。
昭和39年 2月 払込資本金500万円に増資する。
4月 アルミ加工部門を新設し、舶用アルミサッシ・ドアーの製造販売を行う。
昭和40年 8月 市内皆実町878 番地他に5,741m²の土地を買収し、工場敷地を拡張する。
昭和43年 6月 払込資本金750万円に増資する。
8月 日軽アルミニウム工業株式会社並びに日軽商事株式会社とアルミ加工技術に関する業務提携に調印し、アルミ製品の製造販売を強力に推進する。
9月 舷梯装置の自社製品化に成功し、本格的な製造販売を行う。
昭和44年 4月 アルミ加工部門の発展に伴い、市内皆実町878番地に第二工場1,188m²を建設し、大型製品専用工場とする。
6月 払込資本金1,000万円に増資する。
昭和48年 3月 舷梯部門の発展に伴い、第二工場780m²を増設する。
6月 代表取締役社長に池内義治就任す。
昭和51年 6月 スエーデン国、ウェリン社と舷梯、ボートダビット、雑用クレーン等に関する業務提携に調印し、東京にウェリンジャパン社を設立する。
昭和52年   尾道市正徳町に臨海工業用地1,598m²を買収する。
昭和53年 6月 資本金2,000万円に増資する。
昭和54年 8月 英国カーゴスピード社と、ランプウェイ・ハッチカバー・カーゴクレーン等の製造販売に関する業務提携に調印する。
昭和63年 10月 尾道市正徳町に尾道工場(臨海工場)を建設、操業開始する。
平成4年 11月 尾道市正徳町に尾道第二工場を建設、操業開始する。
平成6年 4月 尾道第二工場の充実に伴い木原工場を閉鎖、尾道工場に統合する。
平成8年 9月 尾道市正徳町の工場及び敷地(2,730m²)を買収整備し、尾道第三工場として操業を開始する。
平成11年 6月 ISO9001認証取得をめざして、準備活動を開始する。
平成13年 8月 尾道市正徳町の工場及び敷地(1,795m²)を買収整備し、尾道第二工場B棟として操業を開始する。
11月 ISO9001認証取得する。
平成14年 6月 本社工場の旧機械工場棟を新工場(窓部門)として建設、操業を開始する。
新規アルマイト設備導入によりアルマイト事業部発足。
6月 尾道市正徳町の敷地(3,473m²)を買収整備し、尾道第四工場を建設、操業を開始する。
6月 東京に営業所を開設。
平成17年 10月 三原市木原町及び尾道市正徳町に敷地(10,860m²)を買収整備し、第五工場を建設、操業を開始する。
11月 本社工場に併設して、本社事務所を建設。
平成20年 11月 下関市彦島田の首町に敷地(133,581m²)を買収。
平成21年 1月 三原市糸崎の敷地(3,812m²)を買収整備し、糸崎工場を建設、操業を開始する。
4月 東京営業所に設計部門を新設。
平成22年 8月 下関工場2期工事完成 ハッチカバー・RORO装置生産開始。
平成22年 9月 代表取締役社長に池内義隆就任す。